2010年08月07日

忍者ウンチク その26

はい、こんばんはオオハシです。

今週も先週からのつづきで、信濃忍者編で
お送りいたします。

前回は戸隠流を紹介しましたが
今回は長野県と言えばやはり“真田の忍者(草の者)”
ではないでしょうか。

創作では有名な真田忍者ですが、その実態は
どうだったのでしょうか。

戦国期以前から修験の修行場がございましたが
戸隠ほど大きな修行場ではないため、
有力な忍者がいた記録は残っていません。が
(戦国期以前のお話です)

真田昌幸の時代に上州(群馬県)沼田城を落とした
ことがきっかけになります。
武田勝頼から、三つ者(武田忍者の名称)の
支配役の一人である“壺谷又五郎(つぼやまたごろう)”
を貰い受けて配下にしたことから“真田忍者”の
活動が始まったと言われています。

壺谷を頭領に据えて“真田忍者”を組織化したことに
よって、真田家は優れた諜報組織を動かすことが
できるようになりました。

さらに、武田家が滅亡した後、その配下であった
“出裏対馬守盛清(いでうらつしまのかみもりきよ)”
を配下に加えたことではさらに“真田忍者”は
充実していきます。

この“盛清”というヒト、武田家で忍者の養成を
していたほどの武将です。
(盛清の忍術流派は甲州流と言われ
甲賀流の分流と言われてます)真田家でも多くの忍者を
鍛えたと言われています。

真田家が小国であるにもかかわらず、歴史に
名を残し得た、その裏には“真田忍者”の
働きが大きかったと思われます。

“盛清”が如何に優れた忍びであったかを物語る
エピソードがありますが
次週にさせていただきましょう。
一流監督でありながら
一流選手でもあったようです。


☆☆ 合言葉です☆☆
ブログで公開する合言葉を翌日の凌駕ninja店の
スタッフに言うと・・・

味玉をサービス致します

オーダーする前に言ってくださいね(^_^)
合言葉を言う際に「合言葉なんですが・・・」と
言っていただけると幸いですm(- -)m

合言葉は・・・



「真田忍者」

です!

みなさんのお越しをお待ちしていま〜す(^▽^)


今日の凌駕Ninja店は何位を走っているかな?


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Posted by 凌駕ninja店 at 00:39│Comments(0)大橋
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